九州ワンデイツーリング(別名修行ツーリング)3

足が回らない。

自転車は、自分で漕がないと前には進まない乗り物だ。まあ、ダウンヒルという例外はあるものの、走る意思がなければ走らない、おおむね自転車とはそういう性質の乗り物だ。

そして、自転車でのヒルクライムは自転車と自分の体重を二本の足で支えて登る。それ以外に方法はない。登りきるまで、ひとつひとつ丁寧に、確実に、ペダルを回すしか方法がない。だからよくヒルクライムは、自分との戦いだと表現される。いわく、諦めなければいつかはたどりつく、と。

だがしかし、現実は少し異なると私は思う。諦めなければたしかにいつかはたどり着く。ただし、引き際を悟れないやつはそのまま死ぬだけだ。

……というわけで。熱中症で死にかけた言い訳終わります、まる。

足が回らない。斜度3%なんていつもならほとんど問題にはならないのに、ギアが信じられないくらい重い。たしかに距離があったし、後半になればなるほど斜度があがっていくコースだったから、徐々に足が蝕まれていくだろうなという予感はあったものの、予感とは裏腹に最初からほとんど足が回らない。あまりに回らないので、すぐにフロントをインナーに落として走るハメになった。

あまりにも早く消耗したため、早々に予備の補給を使い始める。途中の自販機で水を補給し、さらに進んでいく。ダンシングするほどではないが、いつものギアだと明らかに苦しい。

とりあえず、不安で胸をいっぱいにしながら、目標の山の麓にたどりついた。ここから約1000m登るのだと思うと、自分はアホかもしれないという疑念が確信に変わる。とりあえず補給を……と思って自販機で水を買おうとした瞬間、ある事実にはたと気がついた。

1000円札がない・・・?

5000円はある。10000円もある。硬貨も100円がひとつある。なのに1000円札がない。そういえば、最初のツーリングの予定では財布ごと移動するはずだったから、今回はそれほど札の種類に気を配ってはいなかった。しまった……これでは水が補給できないではないか。

いやいや、落ち着け落ち着け……こんなこともあろうかと、硬貨数枚と1000円札をチャック付き袋に入れて、サドルバックに常時忍ばせてあるのだ。個人的には、ツーリングは生きて帰るまでがツーリングだと思っている。そのための非常手段だ。

うむ、よかったよかった……と思ってサドルバッグを開けて凍り付く。そういえば、先週、あのチャック付き袋は回収した気がする……

がばっとサドルバッグを開けてみると、やはりというか何というか、そこに非常用の資金は見当たらなかった。先週、諸般の事情により回収したのを忘れていた……ということは、このコンビニもない山の中、合計25000円の札を握りしめた俺は、110円の水を買うことが出来ないのか……!

軽く絶望した。
正直なところ、ここで帰るべきだったのかもしれない。ここで頑張ってみたところで、あまりいいことはないからだ。途中でキャンプ場があるようだが、そこまでで力尽きる可能性が高く、力尽きた程度にもよるが、この気温だ、場合によっては命の危険がある。山で力尽きることは、そのまま人生が終わってしまうこととニアリーイコールだ。頑張ってみたところで、大して意味はない。

そこで帰ればよいものの、やはりもったいないと思って、走ってしまった。意を決してギアを落とすと、そこからえっちらおっちら登り始める。足は回らないが、スプロケの歯数を増やしたため、まだ下のギアが数段残っている。だから漕げないことはない。

ほどなくして、補給を使い切った。
気合いと根性で登るにしても限界というものはある。引き際を見極めないと、ほんとうに熱中症で死んでしまいかねない。引き返す限界点を超えてしまえば、そこがそのまま三途の川になる。

次の自販機で100円で買える水がなければ、そのまま帰ろうと決心した。そして次の自販機で、100円で買える水は売っていなかった。だから、すぐにひっくり返して、いま来た道を下り始めた。

ダウンヒルは気持ちいい。登るのは好きだが、ダウンヒルも好物だ。だが、登るのを諦めた後のダウンヒルは、積み重ねたものが一瞬で壊れる様をまざまざと見せつけられるようで、敗北感しかない。多くのひとが云うように、ヒルクライムが自分との戦いなのだとしたら、自分との戦いに負けて惨めだと思わないひとがいるだろうか。

あとで調べてみると、私が力尽きたのはおそらく標高500m地点であろうと推察された。あんまりといえばあんまりである。