判断が曇る

技術とは関係がない要素が絡むと判断が曇る。それは仕方がないことだ。

それは会社としての利益だったり、社会的な情勢だったり、政治的な体面であったりとさまざまだと思うが、基本的に「技術以外の何か」が絡むと技術的な判断は曇る傾向がある。きわめて個人的な話だが、私は試薬メーカさんの持ってくる資料・情報はほとんどすべて信用していない(文献はいちおう読むが、気になったものについては必ず裏を取る)。

事故時の対策・対応・評価には、顔の見えない第三社的な技術者集団を組織してあたらせた方がよいのではないか、というのは、今回の原発事故の対応を見ていて思ったことだ。情報は不正確で、結果的に隠蔽していると受け取られても仕方がない状態になっているし、挙げ句の果てには事に当たっているトップが入院して雲隠れしてしまった。こうなってしまっては、責任逃れだと云われてもいっさい反論できまい。逆に云えば、非常事態を乗り切るだけの体力・知力・判断力に欠けるものがトップにいたわけで、その点ではトップとしての資格がないことが露呈した形になる。

医療の世界にも、そういうことは多くあると思う。判断を下すものが専門家ではないというのは、私としては「おそろしい」。ほとんどあり得ないといってもいいかもしれない。民主党が進めている政治家主導の政治というのは、私にとってはそれだけで不支持の理由になりえる。偏見かもしれないが、日本の政治家に専門的・技術的な判断が出来るとは思えないからだ。こと医療の分野において云えば、すべての医療技術者スタッフは所定の年数を勉強し、試験を通過し、日々の研鑽を積み重ねている。そんなひとたちと、選挙で選出されただけの人間が、同等の知識・技術・判断力を持っていると考えるほうがあほらしい。

助言を得て、方向性を示すのがリーダの仕事だとは思う。しかし、それすら出来ているとは思えないのだ。福島の原発は、政治的な利害のない第三者的な技術者集団がぜったいに必要だと思う。東電の作業スタッフはもちろん頑張っておられるのだが、少なくとも東京電力の影響のない集団にすべきなのではないかと最近は感じている。