豊かさの形

私が好んで飲んでいる地ビールがありまして、それが地元の多くの酒屋さんからも消えてしまいました。ぐすん。時期的なものかもしれませんが、一本500円という驚異的な(たぶん驚異的に高い)値段だったので、そのせいかもしれません。

しかしやっぱり値段というのは重要で、職場の酒好きな女の子に「お酒が好きならここの地ビールがおいしいよ」という話をしたところ、値段が一本500円という話になって、「一本500円だったら安いやつを2本飲みます」なんて云い出すのですね。まあ、たしかに一本500円というのは、私も躊躇する値段ではあります。バカスカ大量生産している大手のビールだと、もっと大きなボリュームでその値段でゆうに2本は飲める。となると、わざわざ高い地ビールを買う理由がない、ということらしいのですが、それを聞いて思ったのが、「お酒に求めているものの違い」なんだろうなぁってことです。

私はお酒が大好きで、自分でカクテルも作りますし、家には洋酒がごろごろあります。店でも、お酒があったら食べ物はいらない、食べ物が出てくるのが遅いのは許せるけどお酒が遅いのは許せない、というタイプです。量はそれほど飲めませんので(もともとそれほど飲めるわけでもなかったのですが、結核もろもろのあとに致命的に飲めなくなりました)、それでかえって味を重視するようになったのですが、べつに酔っぱらうために飲んでいるわけではないのです。だから、「高いお金出して高いお酒を飲むなら、安いやつをいっぱい飲む」というのが、よくわかりません。いや、酔っぱらうために飲むことがないわけではないので、それもわからないことはないのですが(なんというややこしい表現)、酔っぱらっている状態というのはあまり好きではありませんし、そもそも好みの合わない酒は飲みたくありませんので、値段が高かろうが払える範囲であれば気にはなりません。従って、「高いけど好きな酒」が「高いが故に消えていく」のは、なんとも悲しいものがあります。

それが意味するところはつまり、高い酒は売れない、ということなのです。品質はどうであれ、安くなければ売れない時代というのは、とても薄っぺらい価値観に支えられた時代だと思います。判断基準がお金だからです。自分ではないのですね。物を買う買わないの基準がお金であり、判断基準が「自分以外の何か」である、こんな状態で、個人が豊かであるとはとうてい思えないのです。どうにもよくない時代になったなあ、という気がします。

ビールだけの事情なのかもしれませんし、ちょっと突き詰めすぎた展開かもしれませんが、まあ、高くともちゃんと売れるビールがいっぱいある、というのは、豊かさのひとつの形だろうなと思う次第です。……ちょっと端折りすぎたかな。