手洗いと無菌の幻想

根拠のない与太話なので「雑記」カテゴリ扱い。

さて、手洗いに対する疑問があります。よく「一処置一手洗い」の原則は引き合いに出されますが、この手洗いってのがじつにビミョーだなあとさいきんよく思います。手の培養をしてみたらよくわかるんですが、洗っても洗っても、手のひらのばい菌は消えません。もうちょっと正確に云うと、手を洗った直後にはたしかに消えているんですが、またしばらくすると増えてくる。何が増えてくるのかって?そりゃあ、手のひらの常在菌に決まってるじゃないですか。

世の中には面白い培地がありまして、手洗い検査のために「手のひらの形をした培地」があるんです。私も何度か使ったことがありますが、手洗い直後にこの培地を使って手のひらを培養すると、たしかにほとんど菌が生えてこないのですが、手洗いが甘いといくつか菌が生えてきます。でもここで生えてくるのは、皮膚の常在菌なんですね。すくなくとも、大腸菌とかが生えてきたことは一度もない。だいたい手洗いが甘くて汚い人でも、ほとんどグラム陰性桿菌は生えてこないし、生えてきたとしても爪のあたりにちょっとだけ、というのがほとんどです。何が云いたいのかというと、手洗いで防ぎたいのはグラム陰性桿菌とMRSAに代表される病原性細菌であって、皮膚常在菌じゃないだろう、と思うのです。

だからこの手のひらを培養して「わあ、汚いね」というのは、本末転倒じゃないかと思うのです。皮膚の常在菌を手洗いごときで全滅させることは不可能です。毛穴にもいますからね。でもそれが培養されることと、病原性細菌が培養されることは、まったく別のことじゃないかと思います。何が云いたいのかと云いますと、「手洗いの検査で培養したけりゃ大腸菌の菌液でも作ってそこに手を突っ込んでその手をじゃぶじゃぶ洗って菌が培養されないよかったねって方法をとるのがスジなんじゃねえの?」ってことです。そしてこの方法を採ってみると、たぶん「(皮膚の常在菌層がしっかりしているひとは)水だけでも十分落ちるんじゃねえ?」って気がします。気がしません?そう考えると、こどもが外から帰ってきて、「ごはんの前だから石けんで手を洗いましょうね」と石けん手洗いを強要させることにどれだけの意味があるのかと思います。水で十分じゃねえの?だいたい土いじって帰ってきて、その手でモノ食ったからって腹壊すような菌がいるかー?って疑問もあります。B.cereusとか?

素手で中心静脈カテーテルをこねくりまわすやつはいないとは思いますが、仮に皮膚常在菌がいたとして、何か問題になるのかなという疑問も依然として残ります。医療者の手にいなくても、患者さんの皮膚にごろごろいるんですから、いっしょだと思いますし。長年の疑問です。

いやいや、じゃあカテーテル感染はなんで起こるんだ、皮膚のまわりが赤くなって抜いたカテ先培養してS.epiがいたらそりゃ感染だろうよ、というむきもあるかと思います。個人的には、カテーテルが人体にとって異物だから、ではないかと思っていますが(医療者の手に表皮常在菌がいてもいなくても同じ)、ひとによって感染を起こしたり起こさなかったり、そのあたりはよくわかりません。ただ、カテーテルの刺入部が無菌ではないことだけはたしかです。そして刺入部を消毒したとしても、数時間でふたたび無菌ではなくなることも確かです(手洗いと同じだということは云わなくてもわかるでしょう。云っちゃったけど)。でも、マキシマムバリアプリコーションを実施すると、感染率は有意に減少するようです。そして結論はよくわかりません。

ちなみに、感染を起こす頻度は皮膚に常在している菌の密度によるのだという論文はあります。これはこれで納得できるのですが。

ところで、外科のかたはよくご存知だと思いますが、術後に留置するペンローズドレーンは体内に引き込まれないように安全ピンでドレーンを貫いて、それをストッパ代わりにします。無菌ではない安全ピンを、です。外科病棟をまわってまずびっくりしたのが、このダブルスタンダードでした。だれか無菌ではないこの安全ピンをドレーンのストッパ代わりにしていい理由を教えてください。マジで。