何が真実なのだろう?

医療裁判は過失の立証が難しいと云われています。専門性の高さや医師の裁量の大きさ、行われた医療行為の内容と死亡(もしくは傷害)との因果関係の証明が難しいからです。殺人事件の立証であれば、凶器から指紋が出てくればかなり確率は高いと云えるでしょうが、そうですね……たとえば、頭が痛いと云って救急を受診した高齢の患者さん。付き添いのご家族が云うには、昨日から風邪みたいで元気がなかったんだけど、風邪薬を飲ませたらちょっとよくなったみたいで様子を見ていた、頭が痛いというので救急につれてきた、とのこと。救急で担当していた研修医は、患者の痛がり方を見て、これは脳の血管障害が疑わしいか、とりあえず外せない鑑別診断のひとつだろうと考えた。そこでCTをオーダし、患者をCT室へ。CTから出てきたときには意識状態が悪くなっており、最終的な診断名は細菌性髄膜炎であった。患者には後遺症が残った……なんてケース。ちょっと強引かな。

CT室にいく前に抗生剤を落としなさいと書いてある本は数多く存在しますが、これがスタンダードなのかどうかはよくわかりません。しかし、もしかしたら意識状態が悪くなる前に抗生剤を落としておけば、後遺症は残らなかったかもしれない、なんて、これこそ強引なんですが、そう主張されたら、「うーん、これは事故なのかも?」って感じです。でも、髄膜炎を理学所見(それこそ初見で)で見抜けなかったことが過失なのかと問われれば、そんな無茶な、というのが大方の感想でしょうね。

医療安全調査委員会の法案提出は医学界の反対でストップしていると聞いていますが、医療従事者はそういう「何でもかんでも事故として訴えられること」を危惧しているのだと思います。人間の死には必ず原因があります。それがひとの過失によって引き起こされた場合には、とうぜん裁かれなければならない。その基準は、ひとの命を扱う以上、厳しいものでないといけないと思います。問題はその過失を具体的にどうやって定義するのかということで、その部分に医療従事者とそれ以外の方との認識の差がある。力を拮抗させようとして対立構造を選択すると、とんでもない失敗を招くのではないかと私は思っています。こういうとエラそうですが、まずは医療行為の性質と死に対する教育が必要なのでは?