変幻自在の大腸菌

人間という不確実性の固まりを相手にしている診断が究極的には確率論にならざるを得ないのと同じように、細菌という生き物を相手にしている細菌検査も不確実性の吹きだまりだったりします。

たとえば、大腸菌の生化学的性状にはブドウ糖分解(+)というのがあり、これから云うことと矛盾するかもしれませんが、これはほとんど絶対的な性状です。ところが、乳糖・白糖の分解性となると、これが絶対的とまでは云えなくなります。大腸菌がどちらを分解するのか忘れてしまいましたが*1、教科書によると大腸菌はどちらかを分解するので、TSIは全体が黄色になるはずですね。教科書的には、たしか5%くらいだったかな、分解しないヤツがいるということなのですが、まあ、かなりの確率で信用出来る情報ということになります(教科書によって記述内容が微妙に異なります)。ところが、乳糖・白糖をまったく分解しない(少なくとも24時間では反応を見せない)大腸菌なんて、世の中にはごろごろしているんですねえ。O-1群に凝集のある大腸菌で、乳糖・白糖(-)の株をごろごろ見てきました。つまり、高層部分が黄色で、斜面部分が赤い、というパターンですね。こういう株を抗血清あわせずにハネると「ドツボにはまる」、ということになります。

ところが、シモンズのクエン酸培地に生えている菌については、ほぼ間違いなく大腸菌ではない、と云えると思います。いくつか抗血清をあわせたことがありますが、いまのところ凝集がきたのはひとつだけ。そのひとつも、ほかの性状を組み合わせて、最終的には大腸菌ではないと判断しました。私はこれ以降、クエン酸(+)については何も考えずにハネています。

つまり、これを踏まえて云えることは、(+)の性状が何かの拍子に(-)になることはありえるが、(-)が(+)になることはまずないと考えてもよい、ということじゃないかと思うわけです。たぶん、何かの拍子に遺伝子が脱落するんでしょうね。P.aeruginosaのアミノグリコシド耐性遺伝子も菌株保存が不適切だと容易に脱落すると聞いたことがあります(うろ覚え)。カジトンで保存するでしたっけ。これもうろ覚え。

ドツボついでに云えば、ソルビトール遅分解という性状を持つO-157、欧米ではソルビトール(+)という株があるそうです。コワいですね。ソルビトール(+)の株が蔓延してしまうと、もう片っ端から検査するしか方法がなくなってしまう……ん?あれ、いまやってる方法と大差ないか。

究極的には、やっぱり「疑えば疑いが晴れるまで疑え」方式なんですよね、医療の世界って。というか、不確実性が命に関わる世界では、ってことですけど。最近、強度の貧血で来た患者さんがレ線でTBかもしれない(治療歴があった)、たぶん違うんだけどどうしよう、って例がありました。とりあえず感染性はないようだけど、貧血はともかく、レ線でどうしてもTBの線が捨てがたいということでTB病棟行きになったんですが、見事にPCRでTB(+)でした。御慧眼にございます。

*1:知りたければ本を開けばよいと開き直っている