教えてもらえる環境

技術屋さんの世界、医療の世界もそうなのですが、この世界は個人個人の力量の差がむちゃくちゃ大きい世界だと思います。プログラマの力量の差は筆舌に尽くしがたいものがあるそうですが、医療の世界もじつは個人の能力に大きな差があり、それが医療の質を決めている部分は確実にあります。でもそれは技術職なのですから、仕方がないのです。いまの医療はそういう技術力の差をカバーできるくらい発達しているので、個人個人の力量差がいきなり結果に重大な影響を及ぼすことはまれですが。

だからと云いますか、研修医は「教えてもらえる環境」に敏感です。そしてまた、教えてもらえる環境に敏感であるべきです。最初の三年で何を学んだかによって、のちのちの成長に大きな影響を及ぼします。エラそうなことを云っていますが、これは事実だろうと思うのです。私自身を振り返ってみても、やっぱりそう思います。そう、やっぱり検査技師の世界も同じなのですね。技術屋さんですから。教えてもらえる環境を見つけ出して、積極的に勉強することが重要になります。

新しい臨床研修医制度が始まって人手不足になり医療が崩壊したと云われていますが、これはたぶん事実だろうと思います。普通の人にはたぶん、なかなか理解出来ない現象なのではないでしょうか。研修医が自由に研修先を選べるようになったために、研修医は「教えてくれるところ」を研修先に選ぶようになりました。つまり、「最先端医療を教えてくれるところ」=>「施設のいいところ」=>「都会の大病院」に流れていったわけです。そこで、地方都市の崩壊が始まる。でもだったら施設の整った大学に研修医がいっぱいいるかというと、そうでもない。有名な先生、有名な名前の通った病院、そういうところで「考え方」を教えてくれる研修先を選ぶひとも多い。大学病院はある意味部分に特化した専門機関なので、コモンな疾患は置いてけぼりです。でも医者として重要なのは、じつは何万人にひとりというレアな疾患よりも、そこらへんにごろごろしているコモンな疾患なのです。当たり前のことですけどね。大学病院に残ってもいろいろややこしいことも多いですし、そういう魅力を持った市中の病院を選んで研修したいと思うのも、当然のことだったのではないかと思います。

で、医師の偏在が表面化して、人手不足が発生した、と。

これもある意味、環境問題かなあという気がします。困ったことに、何か制度を実施して一発解消できる類いの問題ではない。各地域事に研修医の受け入れ上限をつける、なんてニュースがあったと思いますが、これでは解消しないことは間違いありません。そういう問題なのではないのですから。

研修医をモノのように扱うこと事態に、失敗の要因が潜んでいると思わざるを得ないのですが、昔はそれこそ研修医をモノのように扱ってうまいこと回していたわけで、やっぱり難しいところです。でも競争原理を導入すると格差は広がるのは当たり前のこと(器の大きさが決まれば競争は必ず発生する)。これからさらなる偏在が顕在化していくのではないかという気がします。

ちなみに地方であっても沖縄県立中部病院や亀田総合病院のようにみんながこぞって研修先に選ぶような病院もあります。私は、設備よりも人じゃないかと思いますねえ。