検査室の価値

ちょっと前まで「検査室の外注化」がやたら取沙汰されていて、私の身近でもそんな話がちらほらと聞こえてきていました。けっきょく診療報酬改定の結果、検体管理加算の算定要件で「検査室が外注なのはダメ」ということになったので歯止めがかかったのか、さいきんあまりその話を聞かなくなりました。私が知らないだけで、他所ではまだ外注化の嵐が吹き荒れているのかもしれませんが、検査の外注化はやめたほうがいいと思いますねえ。手前味噌というわけではないのですが、「CRPの結果がわからなかったら手が震える」先生が大勢いらっしゃいますし、コストよりも、迅速に結果が返ってくる利点のほうがはるかに大きいと思います。コストしか見てないと(見えてないと)ドツボです。時は金なり、端的に云えば、結果を迅速に返すことで利益を生み出すことが出来ると私は考えていますので、その点からもよろしくないのではないかと思いますしね。

これから検査技師になるかたは、技術を磨かなければ生き残ることができない厳しい時代になるのではないかと予想します。小さな診療所など、働き口が広がっているという話も聞きますが、ひとりで何でも出来る=>医師の信頼を受ける、という図式は変わらないと思いますし、そのためにはやはり技術が必要なのです。これからの時代は、知識を持っている人と持っていない人、もちっと突っ込んで云えば、そういった情報を取って来れる人とそうでない人、そういう環境に身を置ける人とそうでない人、究極的には、技術格差というより「能力格差」とでもいった時代に、全体的な傾向として、そういう風になっていくのではないかと思います。ちょうどプログラマの世界がそうですが、時間の流れが速い世界はどこでもそういう風に変化していくことが予想されます。変化についていけない人は取り残される、そういう時代がやってくる。何もしないことで発生する損失を無視出来ない時代がやってくる、そういう流れがあるのではないかと感じます。

検査室は検体の多さで支えられるべきではありません。検体が多いから検査室の価値があるのではなく、その検査が臨床にとって必要であるからという理由でもって支えられるべきです。つまり、価値を認められて存続する部署であるべきです。決して、コストが安いからというワケの分からない理由で簡単に外注化されるような部署であってはならない。時代の流れを見極める目が、検査室にも必要になってくるでしょう。いい悪いの問題ではなく、そういう環境に変化していくのではないでしょうか。

私の職場では、検査室の価値が検体数の多さや業務量などで測られる傾向があるように思います。検体量の多さは、つまりどれだけ病院に貢献しているか、ということですね。昔の出来高払いで算定していたときは、それでもよかったでしょう。でも、DPC導入下ではそんなことは意味を為しません。検査室を支える柱はいくつかあると思いますが、もっともっと、「お金に直接換算出来ない価値でもって支えられるべき」ではないかと思います。

まあ要するに、コスト削減なんてくそくらえだ、というわけですが(笑)。