監視の頻度2

ここで検討してみないといけないのは、「感染対策をするのに、(本当に)人員は必要か?」という点と、「病院を運営するのに、(本当に)コストを削減しないといけないか?」という2点ではないかと考えました。このどちらかを解決できれば、要は事務方が納得しつつ、感染対策も実施できる、というわけです。まあ、理屈の上では、ですが。

そこで考えてみるに、「コストを削減する」という行為は、利益をひき上げようという行為なわけですね。診療報酬からランニングコストや資材費を引いたものが、結局は病院の収入となります。医療の世界はマーケットとしてはかなり特殊な領域で、「製品の価値」を自分たちで決めることが出来ません(交通事故は除きますが)。そのため、利益を確保するために値上げを実施する、という荒業が使えません。その結果(なんてたいそうなものでもありませんが)、コストを削減することに注力する必要が出てきます。病院での「コスト削減努力」というのは、かなり涙ぐましいものがありますよ。とある病院では、固定に使うテープの長さを決めてコスト削減に成功した、なんていう病院もあったそうです。偶然だろ、って思いますが(笑)。

ま、資材費用を安く上げるってのにも限界があります。だから最期には人件費を削る。現場の人員をカットして、「コストを削減する」わけです。すると、あちこちで人員不足が起こる。もちろん無駄はそぎ落とすべきですが、それでも不足する部分が出てくる。なぜなら、「不足しているという決定的な証拠が出てくるまで人員を削減して初めて、事務方は人員の最適化が出来たと判断するからです」。

「現在の業務量に生産力を最適化」すると、「必ず生産力不足が起きます」。将来に向けて、いま以上に悪くなるのであればその縮小はある程度の的を射ていると云えるでしょうけれども、将来に向けて考えると、その生産力不足は必ず足かせになると考えられます。あちこちで人員不足に悩まされるでしょう。事務方はおそらく、「業務改善」という美しい言葉を駆使して最適化を勧めると思いますが、根性論をふりかざしている限り、出来ることには限界があります。また狂ったようにコスト削減を進める組織においては、慢性的に人員不足に陥るまで事務方が人員削減をやめることはありません。ここで重要なのは、そのコスト削減に意味があるかどうかを考えること、でしょう。

ま、問題がキャッシュフローだとかそっちに移るので、これはここで置いておいて。

検査の利益を考える時に、コストに人件費を含める方がいらっしゃいますが、これは間違いです。間違いですと云ってしまえると思います。ご意見ありましたら頂戴したいと思います。なぜなら、その検査Aをやめてしまっても、人件費は消えてなくならないからです。Aという検査をやめてしまえば、検査に使用する試薬代は節約できますが、人件費は消えてなくなりません。人件費をどうにかしたいのであれば、ひとがひとりいなくても大丈夫なくらいに検査数を減らす必要があります。当たり前だと思いますが、すると生産力があまっている状況下において、検査をどんどん外注化するだけでは、自らの首を絞めることになりかねないという結論になりませんか?検査を外注化して、マージンの多い、新しい検査を導入するというのはわかりますが。

まあ他にもいろいろあるんですが、最終的な結論としては、「人件費削減」政策というのは将来破綻を呼び込む一要因になりかねないのではないか、というのが私の意見です。するべきではない、と思います。Canonとか大量に首切ってますけど、いずれ破綻するんじゃないかなー。