憧れの心理学

身近に尊敬出来る人がいない、教えを請うことの出来る人がいないというのは、とても不幸なことだと云えます。昔はお父さん、お母さん、さらにはおばあちゃん、おじいちゃんが、教えを請う対象でした。学校では知識を学びますが、それ以外のものは家庭で家族から、とりわけ年長のものから勉強以外の何かを教わることで、偏ることなくさまざまなものを吸収することが出来たわけです。

ところが、無限書庫とでもいうべきインターネットが登場し、すこし様相が変わったように思います。感情のこもらない、実際的な知識の羅列だけならインターネットで十分だからです。むしろすべての疑問に回答出来る、より優秀な存在として、インターネットはこれからも社会に君臨し続けるであろうことは明白です。そうなると、年長者の特徴のひとつであった「知識」は、特徴ではなくなってしまいます。手っ取り早いので、こどもは機械から情報を得ようと考えるようになります。

まあ、そんなインターネットの存在など引き合いに出さなくても、現代の「情報のスピード」は早すぎるんです。情報の流れ方が早すぎるので、ちょっと前の知識がすぐに古くなってしまう。流れが速くなってしまうと鮮度の落ちやすくなりますので、古くなってしまった情報は役に立たない。すると、年長者の知識というのは古くなってしまいがちです。もちろん、年長者の知識のすべてが役に立たなくなるなんてことは有りませんが、相対的にみて、現代の世相に合わない部分が多くなります。すると子供は子供なりに情報を摂取するために行動しますので、今度は年長者が置いてけぼりを喰らってしまう。すると子供は何も教えてくれない(自分に役立つことを何も教えてくれない)大人に見切りを付けて、今度はどんどん「そっち」側にのめり込んでいきます。インターネットはそういう社会情勢と、とても相性がいいのです。これはたぶん、トートロジーですが。

テレビの存在も、そういう観点からするとすこぶるよろしくないものです。テレビはいわゆる「商品の陳列棚」で、すべてのテレビ局は「私を見てください」と云って番組を提供しています。より優れたものを提供するために、しのぎを削っているわけです――と云えたらいいんですが、「商品の陳列棚」状態は、一部でより低俗なもの、より下世話なものを呼び込みます。例えば、お隣さんに面と向かって年収と娘さんの交際関係について尋ねることが出来ますか?テレビではそういったより低俗な話題について(低俗だと云ってしまっていいでしょう)、「私はあなたの知りたいことを教えてあげられますよ」と云いながら陳列しているのです。人間誰しも興味はありますので、まあ見たいひとは見るでしょう。そういう番組がありますよね。「みんな見てください」方式では、いずれ必ず消費者のいちばん低いレベルに全体のレベルが落ちます。平均レベルではありません。

さて、商品の陳列棚にはより優れたレベルのものを置いておかなければならないため、そこに出演するタレントは、やはりレベルの高い人たちになります。一般的に、芸能人といえば一般人とは一線を画す存在です。俳優さんは美人さんやかっこいいひとが多いですよね。というか、ドラマとか映画とか、かっこいいひとばかりですよね。日本でもトップクラスのひとたちが、ブラウン管にはいっぱいいます。身近な人よりも、はるかに優れたひとがブラウン管のなかにはいっぱいいるわけです。

こうなると、家族が情報社会のなかで果たすべき役割とはいったい何であろうかと、意味もなく考えてしまうわけですね。情報の渦に晒されて、こどもはとりあえず自分に必要な情報を最優先で摂取します。「みんな見て方式」では理論的に充足する際限がありませんので、こどもは情報中毒になります。すると情報端末が手放せなくなる。携帯中毒、メール中毒、常につながっていたい中毒も、理屈としては似たようなものでしょう。親が介在する余地は少ないです。子供は親を抜きに成立している、ネバーランドの住人なのですから。

親の背中を見て育ちました、なんて答える学生は、より少なくなったのではないかと想像します。親の背中を見ずとも育ってしまう社会なのですから。だから親は背中を見せながら子供を育てる必要性があると思います。子供が尊敬出来る背中であること。こどもに勉強させたければ、自分が率先して勉強すること。勉強が楽しいということを教えてあげられること。勉強しなさいといいながらいまでぐーすか寝ている親父を、こどもは絶対に見逃しません。そしてその理不尽さに憤るはずです。ただ単に勉強しなさいと強要することは、誰がボスなのかをこどもに知らしめるだけで、害毒でさえあると考えます。まー、どうやら親も家庭ではボス猿でありたいと思うひとが多いみたいなので、全体的に精神年齢が下がっているのかもしれませんが……


ほら、やっぱり「最近の若いものは」なんていうけど、「その大人たちの世代」に原因がありそうじゃん。子供は親を選べない、なんていうけど、それはひっくり返して考えれば「こどもは親の影響を受けざるを得ない」ということなんだから。