評価の基準

一般的に、組織の中ではひとは評価されようとして行動する。つまり、誉められるために行動するわけだ。誉められた結果、昇進したり、給料が上がったり、何かいいことがある。社会的な地位を得ることを目標に仕事に励む人もいれば、よりよい賃金を得るために働く人もいる。我が道を往くでそういった評価基準を意に介さないひともいるが、そういうひとたちは基本的に少数派である。

何が云いたいのかというと、組織の中でひとをちゃんと動かそうとしたら、ちゃんと適切な評価基準を設定してあげないとダメだということ。これこれをこうしたら、私たちは評価しますよ、という姿勢を打ち出してあげないといけない。それが管理職の仕事ではないかと思うわけだ。ここで間違った評価基準を打ち出してしまうと、組織の中の人たちはとたんに迷走し始める。どっちを向いて仕事をしていいのか、わからなくなるためだ。結果的には、組織的な行動が出来なくなり、組織としての業績も悪化する。

さて、長期的に見て利益を出す行為は、なかなか思い切って採用しづらい。よほどの確信があるか、自明の理というくらい単純で予測しやすいモデルでないと、どの時点でその行為を評価していいのか解らない。そのため、長期的な視野でもって判断しないといけないモデルは敬遠される傾向にある。先を予測するための知識も必要だし、評価をすること自体が難しいため、誰もGoサインを出せないのだ。しかし、長期的であれなんであれ、組織にとって利益をもたらすものであれば、それは採用されるべきだというのは云うまでもない。何が云いたいのかというと、短期的に不利益をもたらすものであっても、長期的に利益をもたらすものであれば(もしくは総合的に見てメリットがあるものであれば)、それは採用されるべきであろう、というごく単純なことである。

数字は組織を迷走させる。たとえば平均入院日数や病床利用率。病院の目的は何だ?短期的に平均入院日数を短くすることが病院の存在意義なのだろうか?ほんとに病床利用率を上げることが経営改善に直結することなのだろうか。長らくお役所は診療報酬という形で日本の医療と医療現場をコントロールしようとしてきたが、医療現場ってそれほど単純なものではないと思う。数字に振り回される方が悪いともいえるのだが……

ところで、診療材料を値切るのが大流行りな昨今ですが、お金をケチることと質の高い医療を提供すること、どちらが検査技師としての本分なのだろうと悩むことしきり。いやまあ、すごーく長い愚痴なんですががが。