模倣の心理ーー秋葉原通り魔事件について1

秋葉原の無差別通り魔事件について。

またマスコミが寝言のようなことを云っているわけで、ここまでステロタイプに「ゲームが悪い」と云われると、さすがに不思議な感じがしてきます。そういえば、「ゲーム脳」なんてことばも流行りましたね。あれは検査技師の目から云わせていただくと「千島学説」なみにどうしようもない内容なんですが、当節の「ゲームが悪い」「ネットが悪い」という風潮と相まってか、世間に広く浸透してしまったようです。さすがにみんなおかしいと気がついたのか、それとも一時的なブームだったのか、さいきんあまりゲーム脳ということばを聞かなくなったのがせめてもの救いでしょうか。

「ゲーム」と「インターネット」に対する私のスタンスは、ほとんど中立と云ってもいいものです。「インターネット」に関しては、生活になくてはならないものだと認識しています。私はテレビを見ませんので、ネットでニュースを拾いますし、自分で調べたいことはほとんどネットで調べています。アマゾンで買い物もしますし、iTunesで音楽を視聴します(買ったことはありません)。その反面、ネットのセキュリティというものをいっさい信用していませんので、出来るかぎり慎重に扱っています。インターネットは「道具」です。ついでに云えば、パソコンも道具ですよね。子供に包丁や火などの危険物の使い方を教えるのは当たり前のことで、使い方に習熟するまでは触らせないように注意するのも当然のことです。子供がインターネットの使い方を覚えるまで(もしくはそれなりの年齢に達するまで)、その使用を規制するのはある程度仕方がないのかもしれないとは思いますが、個人としては特に意見を持ちません。

「ゲーム」に関しても同様で、「ゲームそのもの」については、とくに個人的な意見を持ちません。私はそれほど重度のゲーマーではありませんが、それなりにゲームを楽しむ側の人間です。その私の個人的な雑感としては、規制したところで凶悪犯罪が減少するとも思えませんし、規制しなかったとしても、凶悪犯罪が増えるとも思えません。ただ、意識のあり方は少し変わるのではないかと思います。その点について、あえて個人的な意見を出すならば、「もしかしたら、今回のような大規模通り魔的犯罪は減るかもしれない」とは思います。ゲームの影響がまったくなかったか、と云われれば、私はたぶん、「ノー」だと思います。やっぱり、少なからず影響はあるのだと考えます。

ところで話しが変わりますが、テレビのヒーローのまねをする子供は不健全で危ない存在でしょうか?たいていの男の子は、テレビのヒーローの真似をして遊ぶ時期がかならずあると思います。木の枝を剣に見立ててチャンバラしてみたり、しませんでしたか?子供は真似をする天才で、ある時期になるとテレビのヒーローの真似をしたり、タバコを吸う真似をしてみたり、自分の身の回りの何かを模倣し始めます。模倣のいちばん重要な動機のひとつは、「対象の優れた部分を自分に取り込むこと」であり、子供は「かっこいいもの」を積極的に自分に取り込もうとする時期があるのです。これは大人になっても変わりません。ファッション雑誌やタレントの真似をするひとが大勢います。模倣自体は、とくに何の問題もない、自然な行為だと思います。

はて、では模倣の目的のひとつは、実は「自己実現」にあるのではないか、という気がしてくるわけです。優れたものを取り込んでより優れた存在になろうとする、そういった動機が「模倣」という行為にはあります。これは大人になればなるほど、よりはっきりとした傾向になって現れてくるものです(子供は情けないものでも平気で真似するわけで、親としてはそんな現場を見つけてしまうとびっくりしてしまうわけですね)。ゲームに何か問題があるわけではないのだ、と私は考えます。ゲームの内容が模倣対象になってしまう(つまり何らかの意味合いを帯びて「優れたもの」と見なしてしまう)、その精神背景の方に問題があるのではないでしょうか。ゲームが規制されて世界からいっさい消え去ってしまったとしたら、次は多分小説やドラマが模倣対象になるでしょう。何を優れているものと見なして模倣しようとするのか、そちらに問題があるのではないかと私は考えます。

続く(笑)。