何を研究したら?

その気になっていろいろ論文を読んでいると、この世にやり残されていることなんかまったくないような気分になってくる。ふと思いついたアイディアがすでにやりつくされていたり、誰かがほとんど同じ内容を数年前に書いていたり、そんなことがざらにある。もちろん最先端のことをやりたいわけではなく、じみーに自分のやりたい研究をやりたいだけなのだが、やりたいと思ったことがすでにやりつくされていたりすると、やっぱりがっくりするわけだ。自分がいかにモノを知らないかを思い知る瞬間である。

問題点を見つけるためには、問題を解くよりはるかに高い能力を要求されるんだなあというのが実感としてある。知識として、多岐にわたる分野を網羅しておかないといけないし、その知識をうまく活用出来る知恵が要求される。もちろん目につきやすい問題もあるが、そういうものはたいてい「誰もが知っているけど実証出来なくて残っているもの」であり、これには解決するために高い能力を要求されるわけだ。たとえば、「風邪に抗生剤を出せば、どのくらい二次感染を予防出来るか?」とか。まあこれはちゃんとスタディがあったような気がしますが。

問題の入り口を見つけても、費用の問題で対象に出来ないこともある。設備面で研究対象に出来ないわけだ。これは非常にもどかしく、困ったことに個人で解決出来る問題でもない。試薬の費用とか、設備とか、たいていの個人では解決することは難しい。泣く泣く却下して、実現出来そうな題材を探すわけだ。このパターンは若干、むなしいのである。

思うような結果が出なくてもいいのだ。そんな結果でさえ、ちゃんと発表されれば、先人の足跡として役に立つ可能性がある。研究活動というのは、知りたいという猿のような欲求によって支えられているのだと思う。……まあ、ちゃんとした結果が出るに越したことはないんだけど……