裁量権

日本の組織は、自分の考えで物事を行動しようという気概に乏しい。自らの裁量で動こうという意思がない。これはたぶん、日本人の悪い癖なのだと思う。

裁判でも行政でも、前例を重んじる。そして、組織の中で波風を立てずにやっていくことを、「空気を読む」と云って尊重する。まあ尊重するというか、それなりに意味のあるもの、として扱う。前例にないことはしないし、波風が立ちそうな意見は控える傾向にある。これはもちろん、職責の重さを考慮して軽率な判断を控えるという賢明な姿勢であることもあるし、組織の和を保ち、仕事をスムーズに勧めるための日本人なりの知恵と成果だとも云える。この姿勢は日本人のいいところだと思うし、これからも失わない努力は必要だ。外資系の企業みたいに、1から10まで実力主義でやると、いつかはどこかで破綻すると思う。

それとは別に、自分で考えようとしないのは日本人の究極と云ってもいい欠点かもしれない。アメリカはマニュアルが大好きな国のひとつで、日本はお上が大好きな国のひとつだ。ふたことめには「CDCが……」という、ちょっと珍しい国かもしれない。アメリカの抗生剤の投与量は多すぎるといって文句を云うかたわらで、CDCが勧告してないからという理由で何もしない、ダブルスタンダードな国でもある。ダブルスタンダードを矛盾なく運用していける許容量がある、というと美化し過ぎかもしれないが、この許容量がなぜアクションに結びつかないのか、非常にもったいないと思うのだ。たぶん、責任を負うこと自体に及び腰すぎるのかもしれない。

だからまあ、何かが起こってから対処する、という美しーい伝統がどこの組織にでもあるわけで。あと、指摘されてから動くという伝統もあるよね。もしかしたら、縦社会の悪いところだとも云えるのかもしれないなあ……