理想論の行方

いくつかの場所でときどき意見を述べる機会があるのですが、まれに「それは理想論だ」と反論されることがあります。よくよく話を聞いてみると、不思議なくらい「理想」のレベルが低く、「そんなに難しいこと云っているかなあ……」と逆に戸惑うこともしばしば。

ここ最近でいちばんぶっ飛んだのは、「麻疹の抗体価の測定」が理想論だと云われたことです。これには驚きました。そんなに難しいことを云ったつもりはなかったのですが……技術的にはまったく問題なく、唯一ある問題は金銭面だけなのでは?すでに以前のエントリで述べたように、記憶やはるか過去の経験に基づく把握は意味がない(もしくは乏しい)と考えます。ひとりでも漏らしたら、そのひとりが重要なスプレッダになる可能性を秘めているわけです。もはやこれは、「お金がないからやらない(もしくはやれない)」ではなく、「最優先事項としてやらなければならない」問題なのだと思います。要はやる意思があるかどうかの問題で、こんなのぜんぜん理想論じゃないと思う。議論の余地は残るものの、それでも最終的には何らかの形でやるべきことなのではないかと考えます。

私に云わせりゃー、麻疹と比べれば発生する確率がぐっと下がる新型インフルエンザのアウトブレイクよりも、また流行する可能性がかなり高い(と考えられている)麻疹のアウトブレイクの対策の方がずっと「現実的」なのではないかと思いますねえ。すぐに「理想論だ」と騒ぐ人の一部には、「現状を変えたくない」人が少なからず混じっているように思います。やるべきことを当たり前に実行することが、まず大事です。

まーね、だいたいワケも分からず理想論だ理想論だと騒いでいるひとの半分くらいは、頭使ってねーなと思わざるを得ないようなひとだったりするんだよね……