崩壊するだろうという予測

致命的な予測はたいていの場合はあたらない。不思議なことに、人間や組織、社会の持っている修復作用は、その致命的とさえ思える傷を修復し、なんとかかんとかやっていってしまうものである。ここが限界だ、と思っているときは、たいてい上げ底で、じつはもっともっと深い奈落がある、というのはよくある話だ。

限界が訪れて何かが崩壊するとき、それは予感を感じさせない。もうそろそろ限界かなぁ……と思っていると、いつまでたってもだらだらと限界に近い状態が続き、そしてそれでも何とか回っていってしまう。世の中そういう風にして存続している組織はいくらでもあるし、個人の体力だってそうだと思う。予感を感じれば手加減もするし、適当に手を抜いたりも出来る。これは無意識の反応であって、ヤバいな、と感じたら誰でもやっていることだ。ヤバいなと感じることの出来ない人、感じても手を抜くことが許されない人は危ない。遊び疲れて突然眠ってしまう子供のように、あるとき突然崩壊する。とくに、体制の崩壊はそれに近い現象が起こりうる。

しかし、こうやって考えると、まだまだイケるな、と思うわけだ。まだまだ甘い。まだ出来ることがある。

まあほどほどに手を抜きますけど。春になって新人さんがやってきたので、がんばって調教して雑用がんばってもらいます。さいきん仕事を割り振ることを覚えました。雑用を割り振ると、自分がほんとうに集中したいことに集中出来るので効率も上がりますね。たぶん、自分が注力しないと行けない対象を(ようやく)見極められるようになったのかと思います。まあ、雑用までこなしていたらしんどいですし、キリもないですしね。むかしは雑用が助走がわりだったもんだ。

ありゃ、これって「無意識の手加減」か?