組織としての老化

問題に対処しようとして動けば動くほど、余計にがんじがらめになってしまう……そんなことがよくあります。組織においては、特にそうですね。○○委員会、▷▷委員会、◇◇委員会……病院の中は委員会だらけですが、その大半はリスクを適切に回避、ないし分散させるために存在しているといってもいいような気がします。電子カルテ導入検討委員会みたいな委員会もありますが、正直な話、これもリスクを分散させるために存在していると云ってもいいでしょう。外からやってくるリスクを分散させるか、中から発生するリスクをみんなに分散させるかの違いはありますが……

私もふたつほど委員会に所属していますが、どちらもほとんど開催実績のない「休眠委員会」です(私の造語です)。こういう委員会は、内部から発生するリスクをみんなで分け合うために存在していると云ってもいいかと思います。「みんなで決めたこと」という暗黙の了解が重要なわけです。もしくは、外からやってくるリスクの頻度が低い場合ですね。また存在していることそのものに意味のある場合もあります。これは、「委員会で検討しています」という究極の逃れ技を行使するために存在しているわけです。

これらすべての意味するところは、委員会の存在は「組織の安定性」に寄与している、ということに尽きるかと思います。委員会の数が増えれば、それだけ組織は強固なものになり、安定する傾向があると云えるでしょう。その代償が敏捷性で、委員会が多ければ多いほど、組織そのものが鈍重になります。腰が重い、というヤツですね。決定権を持つ幹部が多い組織ほど、鈍重になります。機敏性は失われて、新しいことに対応出来なくなります。そして、組織として老いていくわけです。これが組織の老化だと私は思っています。

世の中の流れを観察していると、機敏な組織ほど世の中の流れを掴んでいるなあと思うことが多いです。そして、失敗してもリカバリが早い。これが人間なら、若いなあ、ということになるんだと思います。……こんなこと云っていると、トシだなあ。