もったいないという感覚

日本人の美徳、みたいに云われる「もったいない」ですが、資源の節約という点では違うのでは?とよく思います。たとえば、食べ残しは「もったいない」、これは理解出来ます。もったいないというか、作ってくれたひとに対して失礼でもありますよね。いちおう、出来るだけちゃんと食べます。これに対して、使わないと「もったいない」という場面、それは違うのでは?とよく思います。ある検査の1キットに梱包されている試薬はちょうど1回分よりもやや多くて、余った試薬は冷蔵庫に貯蓄しているのですが、「使わないともったいない」ってのは間違っていますよね。使っても使わなくても溜まっていくわけですから、これはもう容赦なく捨てていかないと、冷蔵庫のスペースがもったいない。使っても使わなくても溜まっていくものは、捨てるべきだというのが私のスタンスです。まあ、ケースバイケースですけど。

資源がもったいないのであれば、生産量を押さえるべきです。リサイクルもいいですが、ほんとうにゴミを減らしたいのであれば、生産量そのものを押さえなければならないでしょう……ってのは、森博嗣氏のブログかなにかで書かれていましたね。リサイクルの思想は、「使って」なおかつ「資源を節約」ですから、その本来の意味は、経済成長しながらゴミを減らそう、資源を節約しよう、ということですよね。つねに膨張していくスタイルが前提にあるわけで、年金制度にしても、作った当時に指摘したヒトがいたはずなんですが、将来は明るかったんだなあと思うばかりです。

ところで、私もたぶん「捨てられないひと」でした。あるとき、上記のように考え、いきなり「捨てるひと」に変貌しました。ありとあらゆるものをがんがん捨てますが、消費社会の権化だなあ、と思い反省することしきりです。こうやって反復を繰り返して、ひとは中庸に落ち着いていくのでしょう。たぶん。

いみのわからんエントリだなあ。