想う

すごい暴論を書くけれども。

いろいろあったんだけど、いまは結構真面目に思う。

向いているかもわからないのに、こうと決意して、
つらい受験もクリアして、年単位で勉強して、
時間を作りながら試験勉強して、クリアして、
そして真面目に勤め上げる。
自己研鑽して、働いて。

向いているかどうかもわからないのに、
自分の決めた進路を一生の仕事と決めて立ち向かわなければならない、
この現状のシステムは、どこか歪な気もする。

やりなおせるとひとは云うけれども、
やりなおすためには、どうにもひとの寿命は短すぎるんだよ。

RPAについて

かなり暴論であることを先にお断りしておく。

RPAのブラックボックス化は、委託した業務がブラックボックス化するのと、構造的に何も変わらない。委託と役割分担は、結果はいっしょでも、ニュアンスがまったく異なる。委託先に預けた業務を、「委託先が処理しているので私にはわかりません」と臆面もなく云えてしまう組織は要注意だ。それは委託ではなく、丸投げだ。

日本のIT業界は丸投げが成立しやすい多重下請け構造を「なかば常識として」持っているが、私にはこれがずっと理解できなかった。IT業界だけではなく、外注と称して、めんどくさい部分を切り離し、丸投げする風潮が全体に浸透しつつある。問題は、切り離す基準だ。たとえば、グループ会社の給与計算を統一し、本社業務から切り離して集約、一元化する、という思想でもあれば、まだ問題は少ないように思うが、RPAに関して云えば、その導入は「どうも俺たちにも魔法の杖が手に入るみたいだから、いっちょ振ってみるか」程度のことでしかない。RPAの導入ベンダも、「私たち、コンサルティングできませんので」と平然と云ってのける。「売り切り」だ。物を売るのと大して変わらない感覚でRPAを売っている。バカ以外の何者でもない。

これこのまんまじゃ、まずいんじゃないの、と思う。RPAの対象は「時間がかかる」「複雑」「標準的」な業務だと云われるが、そもそも日本のシステムは標準的なパッケージを嫌って(エンジニアが)死ぬほどカスタマイズを入れている、属人的(?)業務が主流である。標準なんてどこにあるの?そこをRPAでさらにブラックボックス化するわけで、「委託しているので知りません」マインドの日本人がRPAなんてつかいこなせるわけねーじゃん、と思うのは自然なことだと思っている。つまり、このまんまだと、スパゲッティみたいになったコードのように、数年後に怨嗟の悲鳴が上がってくるに違いない。

南無三。

要件定義の底なし沼

やってみればすぐにわかることだが、「なんでこんなクソ仕様になってるんだ!?」という多くのことは、その機能に対して責任を持っていた人が、じつはほとんど「当事者」ではなかったことに起因している。つまり、本当は「自分の問題とは思っていなかった」から、その機能はクソ以下になりさがってしまったのだ、とも云える。

残念ながら、「責任者」はしばしば「当事者」ではない。現場のキィパーソンはしばしば業務のエキスパートではあるが決定権を持たず、所属長は権力を持つ責任者ではあるが、現場のエキスパートではない。合意形成を何よりも大切にしてあとから(組織間の)文句が出ないようにすればするほど、当該機能はダメージを受ける。出来上がったものは、びっくりするくらい◯ソになっていたりするから、世の中不思議である(不思議じゃないと云っているのに、心の底から不思議なことだ)。

しばしば現場で起こる、「責任を負っている問題を体験していない」問題は、非常に根が深い。現場のキィパーソンを抑える、というのはよく云われることだが、現場のキィパーソンはしばしば現場のエースであり、これを要件定義のために拘束するのは困難を極める。したがって、これは組織全体の問題であるということを、まずは所属長が認識すべきである。ひいては、病院全体が認識し、これを支援する以外に、この沼から脱却する手段はない。

部分最適を見つめ過ぎると、すぐにこの沼にハマる。自分だけはまらないようにしていても、周囲が足を引っ張るから、この問題は奥が深い(たいていの場合は底なしである)。

ブラックボックス化

業務をRPA化しようとするときに問題になるのが、ブラックボックス化である。

RPAにやらせる部分がブラックボックスになりやすくなるため、ちゃんとドキュメンテーションして任せっきりにしないようにしないといけない、という話だ。だが、まわりをよく見てちょっと考えてみれば、もうすでにブラックボックスとなってしまって、担当者以外にはわからない、という業務がたくさんある。

属人化した業務は要注意だともよく云われるが、すでにブラックボックスである。これはもうRPAに落とし込むことすらできないことが多い。属人化しているため、業務の枝分かれが多く、シンプルにできない(もしくは担当者ができないと思い込んでいる)ことがほとんどだからだ。超高性能AIであるニンゲンさまという名前のRPA業務になっていることが多い。さもありなん。

どの分野、どの業務にも必要なのは、異業種の実態を理解し、現実に落とし込むことができる「単純に能力の高い」人材である。職人は不要である、というのは、日本人にとっては少し悲しいことだが、差し迫った現実であることも間違いないだろう。