最近よく思うこと

置かれている立場の違いが、ときにゴミをピカピカに磨くような、クソみたいな仕事を生み出してしまう。
クソはクソで、いくら磨いてもクソ以外の何ものにもならない。

厄介なのは、私には「それ」が、クソなのか、竜涎香なのか、見分けがつかないことが往往にしてある、ということだ。

まあ、あとでクソだったな、ってわかるんだけどね。
クソッタレ。

仕事の管理、どうしてますか

いままでの生活では、こんなに大小様々なタスクが生じることなんてなかったからなあ。

現状、そもそもタスクや新規の仕事の発生がメールで生じることが多いので、メールを基軸にした管理方法が私にとっては好ましい。スケジュール管理はGoogleカレンダを使用しているわけだが、そこにタスクも入れ込むことにした。いいところは、メールをドラッグすることで、メールに関連づけたタスクが生成できることだ(関連づけられたメールを表示させようとすると、なぜか失敗するのだが)。問題は見辛いことで、タスクはGoogleカレンダに表示されるが、タスクがありすぎて、ごちゃごちゃしてしまう。ディスプレイサイズにもよるのだろうが、1日のタスクがほんの数個で、本来のスケジュールが押しやられてしまう。いちいち開けないといけないので、ちとわずらわしい。

メール等で返事を確認しないといけない類のものについては、イメージとしてはリマインダなのだが、現状、Gmailからは直接関連づけてリマインダを生成できないようなので、タスクで処理している。これが非常に多いのだ。カレンダに表示させると、あっと云う間にその日のスケジュールを塗りつぶしてしまう。そのため、重要度を想定して、単純な待ち状態は週末など特殊な箱に入れて、他と区別せざるを得なくなった。もともと別のタスク管理ソフトを使用していたので、そちらからすべて移行させるのは無理かもしれないと思いつつある(Windowsで使えないので、そこをなんとかしたい)。

なかなかうまい方法は見つからないなあ。。。

RPAについて思うことを

RPAについて、思うことを書いておこう。

昨今、「働き方改革」の切り札というか、ソリューションのように扱われることが多くなって来たRobotic Process Automation(RPA)だが、AIへの高い期待も相まって、なかば魔法扱いされているような気がする。はっきり云ってしまえば、現時点でのRPAは、あくまでも「定型業務の自動化」にすぎない。そのツールをどううまく使いこなすか、という問題がRPAのメインテーマであって、残念ながら、万能のソリューション(解決策)ではない。RPAが解決するのは、いわゆる「手が足りない」という問題だけだ。

ある煩雑な業務があって、いつも「人手が足りない」と嘆いている部署があったとしよう。どこからか、RPAの話を聞いてきた。さっそく導入を試みる。セミナの事例紹介なら、ここで月数百時間もうかせてめでたしめでたし、なのだろうが、現実はそううまくいかない。ある業務は煩雑なままで、その煩雑さを紐解かずにRPAによって処理させようとすると、うまくRPA化することができずに、炎上することになる。問題は、「なぜ」業務が煩雑なのか、であって、それを解決せずにRPAを使って処理をブラックボックス化してしまうと、うまくいくはずがない。よしんば、その場ではうまくいったとしても、時が過ぎて世代が変わった時、誰もブラックボックスと化した業務の中身が分からず、後に残るのは炎上したロボットだけ、ということになるだろう。

RPAはほとんどのケースで直接的な解決策にはならない。RPAが解決するのは、「要件定義された作業に対する、純粋な労働力の不足」である。したがって、まずは業務の標準化、見直しが必要で、結局のところ、BPRをしましょう、という話になってしまうのだ。

人間の仕事はまだまだなくならないな、と思う次第である。

相貌失認

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実は私もまったく同じである。ここに書かれていることは、ほぼすべて当てはまる。ただまあ、相貌失認だとまでは思ったことはないかな。

目が悪くなっても、仕事中はほとんどメガネをかけない理由がコレである。裸眼で0.5程度あるのでまったく見えないわけではないのだが、よく不自由ないのか聞かれて、私も返答に困ってしまう。私はほとんどのケースで体型や髪型、歩き方や姿勢などで相手を識別しているらしく、実生活ではほとんど困らない。細かいところが見えていようがなかろうが、どうせ体の輪郭や雰囲気などといった曖昧な情報でしか相手を識別していないので、手がかりにしている符号がころりと変わってしまうと、途端に反応できなくなることが多い。したがって、しばらく会っていない相手は、ごく数名をのぞいて、識別できないことが(非常に)多い。

このごく数名が、小学校くらいから付き合いのある友人数名で、どうも高校生のあたりからひどくなっているようなので、後天的なものなのかもしれないなどと思っていたりもする。単に人間関係が希薄なだけかもしれないし、友達が少ないだけかもしれない(爆)。

顔を識別する能力には個人差があり、すべての人が一律の能力を持っているわけではない。ただ、得意な人がちょっぴり羨ましいだけである。

人工知能は職を奪うか?

いろんな意見があるだろうが、結果として「職は奪われる」かもしれない。

そもそも労働人口が減少しているため、「社会が必要としている労働量」が変わらず、「労働人口は減少する」なら、「労働人口単位の生産性を上げる」しか対応する方法はない。そこに「労働人口を補う」という方向性で持ち込まれるのが、AIやRPAといった、いわゆるソフトウェア型ロボットである。RPAは典型的なソフトウェア型ロボットで、単純作業をもくもくとこなす、きわめて優秀な単純作業従事者だ。労働者はこのRPAを道具として使いこなし、労働者自身の生産性をあげる。結果、少ない労働人口で、現在の社会を維持することができる。

問題は、いままで単純作業に従事していたひとたちは、それ以外の作業に従事できない可能性が高い、という点だ。極端な例を挙げると、駅の改札で切符をきりまくっていた駅員さんは、自動改札機が導入されて職を奪われた。身近な例でいけば、経理課で、メールに添付されている見積書の情報をもとに、発注系のシステムに情報を転記、発注をし、発注情報を別の台帳に転記して、台帳を管理する、という仕事を1日に何十件を繰り返している担当者は、RPAによって仕事を奪われる可能性が高い(いまの市販製品でおおむね可能だ)。この担当者は、別の仕事に従事することになるが、この担当者のスキルセットで担当できる仕事が部内に「ない」場合、この担当者は職がないことになってしまうだろう。

個々人のスキルセットが単一で潰しが利かない場合、このような事態に陥りやすいとも云える。会社の事業とほぼ同じようにも思える(だからたいていの場合多角経営に走るわけだが)。労働人口が減少すれば、個々人に求められるスキルは、必然的に複雑化し、かつ高い水準を求められることになるだろう。教育を見直す必要があるのではないかと思われる。

人工知能が職を奪うかと云われれば、おそらくYes。人工知能の発達スピードに、「人間社会と個人のあり方に関するありとあらゆる変化」が追いつかないからである。つまり、人間次第、とも云える。