職人は不要か?

以前とは逆のことを書こう。

人工知能が発達すれば、職人は不要になるかもしれないと書いた。結果として、おおむね不要になってしまうという未来は避けられないように思う。おそらく単純作業を繰り返す職業は、職業として成り立たなくなる。ここでいう「職業として成り立つ」条件は、コストである。つまり、単純作業を行わせるに当たって人間を雇うより機械を使用した方が明確に安くなれば、その職は職業として成り立たなくなる、と仮定している。この「機械にやらせる」という考えはけっこう曲者で、ランニングコストだけではなく初期投資が必要であり、一概には云いづらいところもある。

時と場合によるが、たとえば、工事現場で赤い誘導灯を振る役目は、機械が担当していることが多い。では無人化できるかといえば、有事の際に困るので、無人化はできないのが現状だ。高い精度で「誘導灯を振る」ことを極めた人形がいたとしても、それ以外の仕事はできない。人工知能が発達すれば、この「不測の事態」をある程度カバーできる可能性があるが、まだまだ先の話だ。

データを用いて論理的に導くことができる結論には、人工知能の方が早く到達する。では、人間特有の「飛躍する思考」を人工知能は再現できるだろうか。あるいは、「脈絡のない思考」も再現可能だろうか。日本刀を高い精度を打ち上げるロボットは、ある日突然、「儀式に使う七支刀」を打つことを発送できるだろうか。

職人のスキルというのは、ゲームのように純粋に単一のスキルセットではないはずで、その組み合わせから発想される別の新しいものが、人間にしか生み出せないものになるはずだ。いままでの職人とはかなり異なるイメージになるかもしれないが、新しいものを生み出せることが、これからのスキルとしては、必須になってくる。あとは、ロボットを使う側のスキルだ。いずれにせよ、旧来の「単純作業繰り返し型」の職は、すべて絶滅すると思った方が良い。

データに基づいて判断する職も、かなり怪しいとは思う。じつは医療系のかなりの部分は怪しいのではないかと思っているが(医学は科学だ)、医療の世界も、AIの台頭によって変化を志す時期なのだろう。世の中の動きからは、かなり遅れるとは思うが。。。

ルートラボ怖い

ふだんツーリングの記事は書かないのだが、誰かの役に立つかも知れないので、ちょっとだけ困ったことを書いておこう。
(別にツーリング記事を書かないと決めているわけではないが。。。)

私はふだん自転車でツーリングする時、ルートラボを使ってコースを決める。山を走るのが好きなので、斜度がわからないと、自分にこなせるコースかわからないので困るからだ。自転車乗りなら、いちどは触ったことがあるのではないかというくらい、知られているサイトのひとつだろう。

で、ルーラボが案内してくる道を信じてると、こんな目にあうわけだ(笑)
f:id:kisaragi5:20181103130850j:plain
これが非常にツライ。
山の中で通る予定だった道が封鎖されているときの絶望感ったらないわけで。どないせいっちゅーねん、と突っ込みたくなる。頼みの綱はスマホなわけだが、山の中では電波もろくに届かない(私はこんなときのためにDocomoを維持しているが、このときはかろうじて通話が可能レベルだった)。仕方ないのでGarminの見辛い地図を見ながら迂回路を探る羽目になった。

f:id:kisaragi5:20181104100122p:plain
ポイントを打っている箇所が分岐点であり、通行止の地点である。迂回路があるのかどうかもわからないし、確認しようもない。どういった理由で通行止になっているのかわからないが、ここを通れば目的地につくことは間違い無いので、本気で侵入しようかどうかかなり迷った。入り口を見る限り、数年単位で放置されているようなので、おそらく崖崩れだろうと予想し、諦めた。

f:id:kisaragi5:20181104100128p:plain
実際にはどんつきで通行止を食らったわけではなく、もう一方の道が使えて、かつ目的地につながっていることをうろ覚えだが覚えていたので、その記憶を信じて、別の道を進むことにした。そのときは14:00くらいで、標高もそこそこ高く、日が陰って寒かった。山の中で日が落ちたらマジで死ねる自信があった。繋がっているという記憶がなかったら、あえて突っ込んだかもしれない。

実際には、山辺小分校の地点で南に折れるのがおそらく正しい。こちらは比較的舗装がまともで、斜度はきついが、そこそこまともに走れる。実際には、そのコースを走っている。ルートラボの道の選定基準がよくわからないが、最短コースを無視して、迂回してまで狭隘路を通したがるルートラボ先生には、狭隘路への偏執的な愛情を感じてしまうのである。

ルートラボの案内が必ずしも(人間にとって)正解ではないという、怖い怖ーい実例であっタ。

ちなみに、この道は「長野県道67号松本和田線 - Wikipedia」と呼ばれていて、実際には平成25年より通行止であるらしい。なぜか入り口が開いていて、不可抗力で通ってしまったひともいたようで、かなりひどい有様だったようだ。

まあ、ツーリングはこういうのもひっくるめて楽しいものなのだが。
以下、適当に写真を貼っておきますので、いいなと思ったら、行って見てください。ビーナスラインといいますです。

f:id:kisaragi5:20181103115711j:plain
f:id:kisaragi5:20181103132023j:plain
f:id:kisaragi5:20181103115356j:plain

余剰人員をSEに配置転換とか、寝言ですか?

www.yomiuri.co.jp

馬鹿馬鹿しい話だと思う。

富士通は26日、2020年度までにグループ全体で5000人規模の配置転換を行うと発表した。対象となるのは総務や経理などの間接部門で、研修を通じて営業職やシステムエンジニアとして育成する。IT(情報技術)サービスなどの成長分野を強化する狙いがある。

馬鹿馬鹿しいを通り越して、憤りすら感じる。SEのスキルをなんだと思っているのだろう。間接部門に配置転換の対象となるひとが5000人もいること自体が信じられないが、よりにもよってSEに転換する?寝言が云えるほど、フジには余裕があるというのだろうか。なぜ、現在の情報基盤の根幹を担うスキルを、「未経験者」が担えると思うのだ?

そこまでSEの技術は軽視されているのか?マニュアルさえあれば誰にでもできる仕事なのだと?あまり云いたくないが、そんな「望まず転換されてしまったにわかSE」のなれの果てに担当される側には、ぜったいになりたくない。トラブルの元だからだ。自社の根幹になる「技術」を、にわかで担えるという判断は間違っていると思う。

まあ、詳細は表に出てきていない部分も多くあるのだろうけれども。正直、お取引はごめんこうむりたい。

パスワードの変更について思うこと

パスワードを定期的に変更することは意味がない、という議論「も」ある。答えのでない、めんどくさい議論だ。

そもそもパスワードを定期的に変更するのは、セキュリティをより強固にするためである。問題は運用だ。破られやすい安易なパスワードを使い回したり、覚えられないから紙に書いて貼ったりする。生体認証に一縷の望みを託す向きもあるが、現時点では、民生品としてあまり期待できない。また、指紋認証がそれほど強固なセキュリティというわけでもない(現状では静脈認証がもっともセキュアな生体認証だろう)。

ただはっきりしているのは、自分がめんどくさいから、パスワードの変更は意味がない、と主張する一部の人たちは、パスワードを変更しようとしまいといっしょだ、ということだ。つまり、そういう人たちのさらに一部は、「いちばん脆弱なパスワードでパスワードを固定する」ことが容易に想像できるので、けっきょく制度として定期的に変更せざるを得ないのである。めんどくさいかもしれないが、やらないよりマシ、ということだ。

セキュリティトークンもありだろうが、意外にかさばり、不便ではある。そう考えると、やっぱりパスワードを定期的に変更することには一定の意味があるのではないかと思うのだ。

いやだって、無意味な文字の羅列を10文字弱覚えるだけじゃん。ワケわかんねー、メーカが適当につけた薬の商品名いっぱい覚えてる連中がさ、たかだか10文字弱の文字列覚えられないとか云ってゴネるの、どーなのよ?覚える気があったらできるでしょ?

職人は不要か

「職人」が不要になってしまった。AIの台頭を見るにつけて、そう思う。

個人的には認められないが、もはや「一つのスキルを極限まで磨き上げる」必要性がほとんどない。基本的に、反復する動作はすべて(ある程度のレベルで)機械化できてしまうため、作業の一つ一つに対して高いレベルでの習熟が必要なくなってきている。結果、どのようなことが起きているのか。もともとひとつの動作を極限にまで磨き上げることを是としてきた日本人にとって、価値の転換を迫られているのではないかと感じる。

包丁を極限にまで磨き上げる技術も、おそらくRPAで再現できるだろう。日本刀を再現することも、最終的には可能であろう。「職人の感覚」に相当する部分は、膨大なデータさえあれば、ほぼ間違いなく再現できてしまうのだ。データの蓄積は必要だが、特定の分野に限れば、AIは人間をはるかに凌駕する能力を持っている。

医療の世界においても、同じことが起きるだろう。「診断」は、AIの仕事になる可能性がある。画像を含む膨大な検査データを読み、診断候補を挙げることは、いまでも技術的に可能であろう。身体所見は難しいかもしれない。AIに体性感覚がないからだ。もしかすればだが、AIに痛みや喜怒哀楽などを覚えこませることができれば、身体所見も取れるようになるかもしれない。AIに人格が芽生えるかどうかについてはなんとも云えないが、少なくとも体性感覚抜きでは喜怒哀楽を理解することはできず、したがって人格が芽生えることもないだろうと想像する。

AIによる医療は、医師の物理的な負担を軽減するだろう。検査結果の読み落としはなくなるだろうし、微妙な検査結果の変化から、今後生じうる疾患を推測することも技術的には可能なはずだ。したがって、医師に求められるのは、治療方針の提案と決断である。昨今、重々に説明を重ねて患者に治療方針を選択させることが多いが、提案まではAIがやってくれる可能性が高く、方針の決定も患者の仕事になるなら、医療は自動化できるかもしれない。医師の仕事は研究のみになるかもしれない。

検査技師はどうだろうか。検査技師はまさに職人気質のコメディカルだが、仕事が無くなる可能性を否定できない。少なくとも、生化学的分野はそうそうにAI化できてしまう。QC結果を測定器に連動させてメンテナンスを自動化するなんて、なんの問題もないはずだ。

AIの台頭は職を奪う。それは間違いないと思う。ただ、それは時代の変化であり、いままでは「職人」が必要な時代だった、というだけである。いまは、「変化」を起こせるもの、対応できるもの、つまり、AIでは対応できない価値を生み出せるものが必要とされているだけである。

コミュニケーション

チームでまずいのは、コミュニケーションが途絶えることだ。

たとえば、いつまでも悶々としながらひとつの問題にひっかかっているメンバがいたとする。新人なら勉強がてらそのまま迷わせておいてもいいかもしれないが、それが通用するのは、新人がたたき出すアウトプットが、チームに取って著しく小さいときに限られる。新人の担当する作業が、悩んでいる間中、無視できない負荷になるなら、悩ませておく時間はありえない。にもかかわらず、悩み続けるのは、そもそも新人ゆえに自分の作業価値を理解できていないか、理解していてなお相談できない雰囲気があるのか、そもそも悩んでいる状態が大好きなマゾなのか、まあいずれにせよ、望ましい状態ではない。

基本的には、そのひとのアウトプットがどの程度重要なのか、という点で決めてもいいと思うが、OJTの名目のもと、チームのアウトプットに影響を与えるまでに「OJT」を実践するのはありえない。チームのアウトプットは顧客に納品されるべきもので、したがってOJTのコストを顧客に払わせることは、やってはならない。