トランプ大統領は、大統領として成功するのだろうか

トランプ大統領は、大統領として成功するのだろうか。

成功の定義にもよるだろうが、いまいち何か成果を出しているところを想像できない。イケイケで押せ押せが通用する世界でないのは当たり前のことだとして、では戦略的に動くひとなのかと云えば、どうしてもそのように見えない。問題に場当たり的に対処しているだけで、誰にでも思いつくことを強引に実行しているだけのように見える。なにか分析があったり、根拠があったりするわけではない。ずいぶんと安っぽい大統領だな、とは思うが、停滞した社会の救世主になれるとはどうしても思えないのだ。仮にメキシコに壁を作ることや日本との貿易で米国に有益な成果が出たとしても、短期的な戦略の結果と長期的な発展がかみ合っているようには思えない。年単位で見れば、おそらく破綻する。

みんな、こんな大統領を熱望していたのだろうか。すごく不思議だ。この政策の果てに、よりよい社会が、恒久的に発展を続ける力強い社会があるとは思えない。アメリカのよいところをスポイルし、より停滞を深めるだけなのではないか。

怒鳴れば声が届くような小さな企業を経営するのとは訳が違う。多様化し、合意を得るのが難しい多民族国家のトップだ。だからこそワンマンが有効なのかもしれないし、破綻を早めるだけに終わるかもしれない。でも、やっぱりトランプ大統領が力強い米国を再建しているところなど、微塵も想像できないのである。

すごいか、これ

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まあ、自分の墓穴を9時間も掘り続けたと考えれば、単純にキツい作業であったことは想像に難くないが。
ちなみに、1,048,576は2の20乗である。2の16乗が65,536であることを思うと、指数関数的増加の威力のほどが伺える。

ハクメイとミコチ

どストライク。
面白くないひとには面白くないかもしれない、たぶん人を選ぶであろう作品。一年に一回くらいのペースでしか発刊されないのが非常に惜しい。一巻が出た頃からイチオシだが、さいきんメジャになってきて、なんだか複雑な心境です。

ゆったりと流れていく日常と、しっかりとした世界、全編を覆うゆるやかな雰囲気がとても魅力的な作品です。丁寧に重ねられた語りが、作品に重厚さを与えています。私が紙で購入する、数少ない書籍のひとつです。電子版も悪くないですが、この作品だけは、「本」を手に取りたいと思います。

プログラマ舐められてるよね、これ。。。

この条件で応募があるだろうという楽観さ。お気楽というに他はない。
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これが一般企業だったら、一発ぶん殴られて首が飛んでいるレベルの能天気さだと思う。担当者は、これでも「考えて考えて、考え抜いて策定しました」と云うかもしれない。止むに止まれぬ事情があったのかもしれぬ。しかし、これでこの事業が成功するという、どこにそんな根拠があるのだろう。たとえば、この事業は、失敗したら、誰が責任を負うのか、明確になっているのだろうか。おそらく、まあ絶対と言い切ってもいいかもしれないが、建前上の責任者はいるのかもしれないが、現実にこの失敗の責を負うべき責任者は明確ではないに違いない。そうでなければ、こんな話しがまかり通るわけがない。

新手の炎上商法である可能性は残るが、特定の業者との結びつきを避けるため、とか、言い訳にしても苦しい内容だ。事業を成功させるよりも見かけ上の「公平性」を保つことが優先されるということがありえるのは、公共事業の特徴と云ってもいいかもしれない。決定のスピードは遅い、自分たちで教えることも出来ない、アイディアもない、とくれば、将来は悲観的にならざるを得ない。

まあ、もっとも大きな理由は、「プログラマが舐められてるから」という気がするけれども。

グラム染色画像

そういえば、肺炎球菌ってむかし生物の教科書に「形質転換」の事例として出てきたんだが、そんなことはすっかり忘れていた。R型菌とかS型菌とか、そういえば、そんなこと習ったなあ、くらいの、遠い記憶。

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肺炎球菌の写真は、もっとも美しいグラム染色像のひとつだと思う(個人的に)。

ベーシックインカムは有用か

日本では、生活保護の不正受給問題などから、生活保護に対するイメージが凄まじく悪い。少なくとも、あまり生活保護のことをよく知らないひとは、ニュースなどを見て、いい印象は持っていないに違いない。

ベーシックインカムは、生活保護とは根本的に異なり、生活に必要な最低限の給付を保証する制度である。詳細まで説明しないが、さいきんよくニュースで目にするようになってきた。フィンランドが一部社会実験を行っていることが報道されている。
news.nifty.com


ベーシックインカムを導入すると、働く意欲が失われるだろうか?
少なくとも、私はそうは思わないし、自分がそうなるとも思わない。ただし、長期的に見て、労働者のメンタルがどのように変化するか、予想することは出来ないと思う。ナウルのような極端な事例は参考にはならないが、しかし、ベーシックインカム推進論者が見ている世界は、なかなか難しいのではないかと推測する。

ただ、別の方法で成功している事例もあったりする。Googleは勤務時間の20%を自分の追求したいことに使っても構わないことになっているのは有名な話しだったが、見ようによっては、これもベーシックインカムの一形態かもしれない。一週間の勤務時間のうち、一日を自由に使っていいと云われれば、労働者は働かなくなるだろうか。なかにはそういうひともいるだろうが、多くの人は、仕事のためや、自分のために使うだろう。いつも時間がなくてしたいことが出来ないと感じている人は、この一日はほんとうにありがたいと思うだろう。将来のために語学を勉強したり、資格を取ろうとしたり、余裕がなかった生活から抜け出すために、自分で対策を施す人が出てくるだろう。その日暮らしで余裕がなければ、取り組むことも出来ないことに、取り組めるようになるだろう。それをどう使うかは、個人の自由である。

結果、より貧富の格差が進むような気もするが、どこかの地域で小さく社会実験してみるのはアリではないかという気がしてきた。四国辺りで実験すると、とても興味深いのではないだろうか。

学問が生きる上で役に立つか

数学が何の役に立つかわからない、という意見をよく聞く。

数学、理科、国語、社会、といった具合に、「機能別」に分割して教えた方が効率がいいし、学びやすい。そのため、学校では、ある程度の粒度のカテゴリに分けて、「体系づけて」教えられる。また、それが効率的であると信じられている。本当だろうか?たしかにごちゃごちゃと混ぜて教えるよりはいいかもしれないが、だからといってわけたままにしておいていいとは思えない。

何を作っているのか知らされずに「椅子の足」ばかり作っている職人が「椅子の全体像」をイメージ出来ないように、この縦割り授業は、繰り返すと全体のイメージが出来ない病気にかかる。一年に一度くらいは、いままで学んだことを駆使して取り組むような、「何か」を実施した方がいいように思う。

目的があれば、学習意欲も高まることが予想される。夏休みの自由研究レベルでよいと思うし、学校で学んでいないことを自分で勉強して取り組む課題でもいいのではないか。「学校」で、「教師」が「教える」→「学ぶ」の図式は、そろそろ限界に来ているような気がする。