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NHK、民営化してはいかが?

www.sankeibiz.jp

おかしくないか?

 NHKが提示した案はイタリア公共放送が導入したもので、受信料の支払い率の向上が確認されたという。NHKの受信料の支払い率は77%にとどまっており、「テレビがない」として受信契約を結ばない世帯が引き下げているようだ。

そもそも受診契約を結んでいない世帯が、支払い率の計算に含まれる方がおかしい。支払いを拒否しているのではなく、そもそも支払いの義務がない。支払いの義務がないのに、なぜ支払い率の計算の中に含める必要がある?それとも、国民はあまねくNHKに対して上納金を納めるべきであるということか?

あとさ、肥大化した組織を削って、もう少しスリムになる努力をしたら?人件費がそれなりに重たい、って自明のことじゃん。

グラム染色像写真

接眼レンズ越しに撮ったのだが、なかなかいいのではないだろうか?
ちなみに、ここに映っているレンサは、GBSである。

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部分点に対して思うこと

頑張ったことを評価してほしいという気持ちはわかる。しかし、いまこれを呼んでいるあなたがもし学生だったなら、その気持ちはこれからなるべく感じないように、自分を矯正した方がよい。

頑張ったことを評価されるのは大学入試くらいまでで、私はあの「部分点」という評価がまるで理解できない。教育上、(ある部分では)害悪だと思う。「ここまでは正しい」って、いったいどういうことだろう?生きていく上で何かを試して、「ここまでは正しい」って誰が評価してくれるの?結果が出るところまでやりきって、はじめて「結果的に正しかった」ことが「なんとなく」「感じられる」だけじゃないのか?

仕事をする上で、部下と上司の間に似たような関係性は生じるけれども、最終的には結果がすべてだ。結果を出せなければ、評価されることはない。「業績は落ちましたが、連日残業して頑張りました!」とか云ったら、即どつかれることは想像に難くない。


ここまではどうでもいい話しだが、じつはこっちの方が話しとしては重要である。つまり、「褒められなければ、やる気が起きない」という思考ルーチンが形成されている可能性があるので、それはすぐに矯正した方がよい、ということだ。まあ齢20を超えてベースの部分は矯正しようがないけれども、褒めて育てられたひとの一部に(潜在的にはもっと多くに)、このようなひとがいる。おそらく、ひとはまったく評価されることなく苦行を続けることは出来ないが、褒められることを原動力にこれまで受験戦争やその他もろもろの学生生活を乗り切ってきたひとは、すぐにその呪縛を断ち切る努力をすべきである。まずはその呪縛を「呪縛だ」と認識することから始めなければならない。

まあ、褒められないと仕事ができないって、「どうしようもない」んだもん。

雲海に沈む

うまく位置取りできなくて、迫力がないけれども。
阿蘇外輪から大観峰に至る道。
四季折々に訪れたい。
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残業

無駄な残業をしていない限り、20時一斉消灯したところで仕事がなくなるわけではない。従って、その仕事はどこかで消化しなければならない。当たり前の話しだが、一斉消灯の話題が出るたびに、また馬鹿な話ししているなー、と思う。

早く帰らなければならないのであれば、残された仕事はどこでするのか。朝早く来るか、休日にするかのどれかであろう。自明である。片付けなければ仕事はなくならないのだから。

残業を減らしたいのであれば、人を増やすか、仕事を減らすか、どちらかがもっとも効果的だ。従って、もう少し突っ込めば、仕事の単価を上げて人を増やす方針を取るか、マーケットを縮小する方針でいくか、どちらかが有力だ。どちらの方針にもさまざまな問題がつきまとうが、まあお金で解決できるので、技術的な困難さはないといってもいい。

さらにもう少し突っ込んでみると、制度的に残業を減らしたいのであれば、残業単価を切り上げればよい。これはすぐに実施できる。法的に決めてしまえばよいので、技術的な困難さはさらに下がる。基準となる時間以上に残業をさせるくらいなら、人を一人雇った方がよい、そのくらいまで残業単価を切り上げればよい。その原資は、商品価格に反映させればよい。商品の価格は上がるが、現在の流れを見る限り、残業時間を減らすことは民意といっても差し支えなさそうなので、問題はないだろう。

商品の値上げを実行し、残業単価を切り上げ、働く人を増やす。本当に残業を減らしたければ、システマティックに対応すべきである。それをせずに一斉消灯とかでお茶を濁しているのは、まあそれをパフォーマンスとして通用させている、監査する側がアホなんだなあー、と思うし、自分たちは安全なところからぎゃーぎゃーわめくだけ、というのは、さすがにどうかと思うのである。

まあ、実際に実行したら、問題だらけだとは思うけど。でも残業単価は上げてほしいなー。

文句だけを言う人

愚痴るのが好きな人がいる。聞かされる方は「この人はなぜ問題を解決しようとしないのだろう」と不思議なのだが、どうやら、聞いてもらえるだけで満足らしく、一方的に話し終えると、たいていは満足してしまう。同じことを繰り返し愚痴るひともいれば、多種多様な愚痴を聞かされるケースもある。どちらも共通しているのは、「このひとは、じつは困ってないのだな」ということである。

「困ってはいるけど、それほど強くは困ってないので、解決するより愚痴るほうが労力がかからない。結果として愚痴ってる方がマシ」というパターンと、「実はほとんど困ってはおらず、話しを聞いてもらうのが目的」という、ふたつのパターンがあるように思われる。どちらも、じつは「困って」いないので、問題解決より愚痴ること自体が目的である。従って、アドバイスなども求めていない。たいていの男性はこのパターンで具体的にアドバイスをしようとするが、愚痴っているほうはアドバイスなど求めていないので、そのアドバイスが愚痴っているひとに対する非難めいたものになると、すぐに喧嘩の種になる。

そのうち愚痴を聞いている方も対応がおざなりになってくるが、愚痴っているほうはこれが気に入らないので、これまた喧嘩の種になる。愚痴っている方が愚痴っている目的は、「問題を解決すること」ではなく「話しを聞いてもらうこと」「注意をこちらに向けてもらうこと」なので、対応がおざなりになってくると目的を達成できない。従って、愚痴の内容がエスカレートするか、頻度がエスカレートするか、表現が大げさになるか、のどれかを選択し、目的を達成しようとする。場合によっては、ほかに愚痴を聞いてもらえる人を見つけて、そっちに移行するケースもある。

「愚痴るひと」と「愚痴られるひと」がいい関係を作れるかどうかは、大抵の場合、「愛情があるかどうか」で決まると思われる。無償の愛情があると確信できない相手に愚痴り続けると、まず間違いなくその関係性は破綻すると考えた方がよい。例外的に愚痴につきあうのが好きな人もいて、こっちはこっちで、愚痴につきあうことでその目的を達成しているケースが多いので、そういうひとを見つけられれば、双方が幸せかもしれない(絵に描いたように不幸な図のような気もするが)。